公式コラム先人に学ぶ正しい継がせ方
自分の兄が認めた息子 一流の味と礼儀を伝える 柿安本店 赤塚 保 名誉会長
2017.04.24
著者:荻島 央江
父は、三重県・桑名の牛鍋店を、精肉、惣菜、和菓子、食品卸、レストランなど
5つの事業を手掛ける全国区の店へと変貌させた。
息子は、「おいしいものをお値打ちに提供する」の理念を受け継ぎ、日々奮闘する。

あかつか・たもつ
1934年生まれ。三重県・桑名の牛鍋店「柿安」3代目の次男に生まれる。高校卒業後、店に入り、67年名古屋出店、71年東京・銀座出店の責任者を務める。惣菜事業の展開に尽力し、レストラン・惣菜部門ともに多くの業態を生み出す。2001年に社長就任、06年から会長
私は牛鍋屋の息子。子供の頃から牛鍋のことだけは誰にも負けませんでした。
スライスしている牛肉の大きささえ把握できていれば、どこの部位か、分かります。中学や高校の頃にはもういっぱしで厨房に入り、手伝いをしていましたよ。
柿安本店の創業は 1871年。赤塚保名誉会長の曾祖父、安次郎氏が桑名で始めた牛鍋
店「柿安」をルーツとし、現在は精肉、惣菜、和菓子、食品卸、レストランの 5事業を手掛ける。
保氏は 3代目の次男。高校を卒業して間もなく、父・二三雄氏が急逝。母・ひで氏が家長として家業を切り盛り、長男の安則氏、三男の正明氏とともに店を支えた。
「お客様、従業員、仕入先。商売はこの人たちに喜んでもらうのよ。とりわけ職人を大事にしなさい」「周囲への感謝の気持ちを持ちなさい」 ──。母から教えられたことは数多い。
なかでも、保氏が今なお実践している母の教えが、毎日牛肉を食べることだ。
母に「なぜ毎日食べるのか」と尋ねると、「味の違いが分かるようになるからだ」と言う。だから中学生の頃から朝、昼、夜と食べていたなあ。
それに、よそにうまい店が開店したと聞けば、すぐに行って研究する。そんなことをしているうちに牛肉のことは誰にも負けんようになった。


(牛鍋、店内)
1871年 牛鍋屋「柿安」開業。屋号はそれまで果樹園を営み、
「柿の安さん」と呼ばれた初代・赤塚安次郎の呼び名から命名された
「吉兆」で英才教育味と作法を覚えさせる
ひで氏は牛鍋のワリシタをほんの少し舐めただけで、微妙な味付けの違いが分かったほど鋭敏な舌の持ち主だったという。保氏も修業の甲斐あってか、その技を受け継ぐことができた。
そんな保氏は自らの子育てでも、「母の教え」を実践してきた。長男の保正氏が小学生の頃から、「マキシム・ド・パリ」や「吉兆」などの名店へ食事をしに連れていき、一流の味を体で覚えさせたという。
「とにかくうまいものを食べさせてもらった。今思えばそれが帝王学だったのでしょう。父には『確かな舌』をもらったと感謝しています」と当の保正氏は振り返る。
「毎日、牛肉を食べる」と同じく、保氏が昔からうるさく保正氏に言ったのが、礼儀の大切さ。幼い頃から「ごちそうになったら、その場だけでなく、次の日もありがとうと言うように」と繰り返し話した。
それ以外は、息子には何事も強制しなかったですね。「これをせい、あれをせい」と言ったって、嫌がると思うんですよ。だから「いつかは柿安に入って ……」みたいな話もしたことがなかった。本人は大学まで出て、こんな小さな会社には入りたくないと思っていたんじゃない?
それにあの頃の柿安本店はまだ兄貴(安則氏)が社長で私は専務だったし、入社しても会社を継げるとは限らなかったんです。実際、本人も大学生の頃は、銀行や商社を志望していたようです。
ところが、保正氏は 1987年に慶応義塾大学を卒業後、米国留学を経て、 89年、柿安本店にあっさり入社する。自ら希望して精肉工場で3年、松阪牛を供する料亭「柿安」で2年、経験を積んだ。
当時社長をしていたうちの兄貴が、息子が留学していたニューヨークまで行って、「店を継いでくれ」と言って口説いたらしいんですよ。息子はそれに意気を感じて入社を決断したようです。
自分に息子もいる兄貴がどうしてわざわざ甥を後継者候補に指名したかは、実は、今に到るまで私自身、確認していません。
まあ、あまり自分の息子を褒めるのはあれだけど、子供の頃からやるとなれば、どんどんやっていくタイプだったし、兄貴も保正を「こいつは経営者に向いている」と見込んでくれたんじゃないかな。
保氏が、安則氏を継いで社長に就任したのは 2001年。当時、 BSE(牛海綿状脳症)騒動が発生した影響を受けて一時は赤字に転落した同社だったが、保氏は、惣菜の店「柿安ダイニング」の大量出店や和菓子事業への参入などで建て直しに成功した。
その間、保正氏は常務取締役レストラン営業部総支配人、専務取締役レストラン事業本部長兼精肉事業本部長などを歴任し、父を支えた。
保正氏が6代目の社長に就任し、保氏が会長に退いたのは06年12月のことだった。
社長交代に当たって特別なこと はしていません。「おまえ、明日からやれよ」。本当にこれで終わり。
社長になって以降も、特別なことは言ってないね。
強いて言えば、一緒に食事をするときに少し話すかな。例えば、「これは炭がこういう具合になっとるだろ。だから味が違う」といったことを話す。
息子はどんなことでも理屈はすぐ覚えちゃう。でも、実際にやってみると、この商売はそんなに簡単なものじゃない。それは自分で炭と肉を触って初めて分かることもある。そんなことを伝えたいんです。
最初から人に任せるなまずは自分でやれ
息子は私とは出発点が違うし、経営の何たるかについても学校で勉強しているでしょ。だから私がやってきたようなことを全部やらなくてもいいと思っている。
でも、何事も自分でやることの大切さは知っていたほうがいい。経営者だから最後は人に任せますよ。でも初めは自分でやらないと。いろんなことを自分でやっとったら、こんなに強いことはない。自分でやっている人には勝てないよ。
今のところ合格点だね。本当によく働くしね。私があいつの年齢だった頃と比べたら、あいつのほうがようやっとる。
ただ、せっかくだからこの機会にもう1つだけ息子にアドバイスしたい。
それは、人に好かれろってことです。あいつは褒めるのが苦手なようなんですね。でも、しかってばかりいたら、みんな一生懸命働かんですよ。
「好いてもらって一番楽になるのは社長、嫌われて一番困るのも社長」なんです。
いろんな話を聞いてあげる。知らないことを教えてあげる。それだけで人から好かれると私は思っとるんですよ。
「商売繁盛させるにはどうしたらいいか」なんて部分は、息子はもう十分に分かっているでしょ。柿安の理念「おいしいものをお値打ちに提供する」に尽きるんだから。実際、私の了解なんて得ずに、どんどん勝手にやってます。
柿安本店の歩み
1871年 三重県・桑名で牛鍋店「柿安」の営業を始める
1998年 惣菜の店「柿安ダイニング」1号店オープン
2003年 ビュッフェ形式のレストラン「三尺三寸箸」1号店開設
2006年 赤塚保正氏が社長に就任、保氏は会長に

2006年 社長就任時の赤塚保正氏(右)と保氏。「2人とも照れ屋で褒めるのが苦手。親子なんですねえ」(保正氏)
※『日経トップリーダー』2011年12月号の特集「それでも息子に継がせたい」をもとに再構成
写真:鈴木愛子
著者:荻島 央江