公式コラム先人に学ぶ正しい継がせ方

教え込んだ信用を得る難しさ できない約束はするな

2017.08.21

著者:荻島 央江

ハマキョウレックス 大須賀 正孝 会長

特に「会社を継げ」と言ったことはない。それでも息子はいつしか父の仕事を手伝い始めた。
子供の頃から伝えてきたのは約束を守ることの大切さと、経営者の過酷さ。
そして、物流という社会に必要とされる事業の素晴らしさだ。

トラック運転手から出発し、一代で東証1部上場の物流会社を築いた大須賀会長。「日次決算」や「大須賀塾」といったユニークな経営手法で知られ、多くの運送業経営者から師と慕われている。  写真:堀 勝志古

2010年1月4日、長男の大須賀秀徳が社長に就任しました。

親としての本音を言えば、息子が後を継いでくれるのはうれしい。でも、「いくら私が創業者だからって自動的に息子が社長になるのはおかしい」とも思い続けてきました。会社は私のものじゃなく、みんなのものだし、経営者には会社を存続させ、安定成長に導く責任がありますから。

だから私は次期社長を決めるに当たって、役員ら20人を集めて、「皆さんの中から一番優秀な人を社長に選びなさい。ただし、私の息子は省くように」とあえて言いました。

息子の社長就任を2度反対した

それでも彼らが息子の名前を挙げてくるから、2度ほど突き返しました。「息子は除けと言ったのに、私の話を無視しているのか」「無視などしていない。一番優秀な人を選んだ結果だ」「そんなごますりはやめろ」「そんなことはない」「もしやってダメなら、全員の責任だぞ。覚悟しろ」「それでいい」という押し問答の末、息子を社長にしました。

ハマキョウレックスは、浜松市に本社を置く物流会社。1971年、大須賀正孝会長が29歳のとき、トラック18台、従業員25人で創業した。

長男の秀徳氏は67年生まれ。大学卒業後、システム開発会社を経て、92年にハマキョウレックスに入社した。入社後1年間は、毎日営業兼務でトラックを運転し、次いで管理、企画など一通りの業務を経験した。

転機になったのは90年代、同社が荷主から物流業務を一括受託するサード・パーティー・ロジスティクス(3PL)事業にいち早く参入したことだ。これを契機に会社は急成長。全国にある物流センターはその大半を秀徳氏が立ち上げた。


「会社に入れ」と言ったことはなかったんだけど、息子が自分の意志で入社してきてからはずっと「もし社長になりたかったら、誰よりも努力して、誰よりも優秀になりなさい」と言い続けてきたし、厳しく接してきたつもりです。前の社長の後藤光明さんには、「そこまで厳しくしなくてもいいのでは」と言われたぐらいでした。

ただ本人も自覚していたようで、「困っているところがあれば、僕が行くよ」と、私が指示を出す前に、自ら率先してさまざまな現場へ行き、会社を隅々まで把握しようと頑張っていましたよ。

とりわけ、うちみたいな会社では、物流センターの立ち上げというのが最も苦労する仕事なんだけど、今、稼働しているセンターはほとんど(息子が)やったんじゃないかな。ひいき目でなく、息子は、現場の仕事の中身も、そこで働いている人のことも、よく知っていると思いますよ。でも、まだ「社員の顔」が分かっていないかもしれないな。顔と名前が一致していないという意味ではないですよ。その社員が、どういう部署でどのような仕事をしていて、どんな能力があるかということを、社長は全部知らなきゃいけない。
 
少なくとも私はそうしてきた。泊まりがけの合宿を何度も開いて、一人ひとりがどんな気持ちで働いているかや、悩みは何かを聞いて、一緒になって解決する。

そうすると、現場に行っても社員からのレスポンスが違う。「初めまして、どうも」ではないから、何を説明してもすぐ反応してくれるし、問題点も指摘してくれる。
そんな話をすると、「社長業が忙しくて、そんなことやっている暇がない」という人がいるんだけど、私はそれこそが、中小企業の社長がやるべき一番の仕事だと思っています。

世間ではよく帝王学がどうこうって言うけど、帝王学なんて立派なものはないんですよ。現場で汗を流して仕事をして、さまざまなことを自分の力で乗り越えていく。これがすべてだと私は思います。親ができることと言えば、子供に自分が働く背中を見せることぐらいでしょう。

人の2倍、3倍働いて積み上げた信用

会社に入ってからだけでなく、子供の頃から息子を厳しく育ててきたと思います。結構、手も出ました。憎らしいからじゃない、愛のむちですけどね。

一番口酸っぱく言ったのは、「約束を守れ。できない約束はするな」ということです。

今でも覚えているのは、息子が東京の大学に進学したときのことです。「家から毎月10万円を仕送りするから、学費も家賃もすべてそこから払え。足りなければ自分で何とかしろ」というルールを決めたんです。

すると、2年生になったときに、大家さんが急に家賃を1万円上げてきた。そこで、息子は「前提が変わったから、仕送りも1万円上げてほしい」と言ってきた。まあ、筋は通っている。

そうであっても、我が家ではいかなる理由があろうと、約束事を破るのは許さない。私は、「家賃に連動して仕送りを上げる約束は交わしていない」と突っぱねました。息子は大家さんに泣きついて家賃を据え置いてもらったようでしたが、そのぐらい「約束を守る」という決まりは、大須賀家では絶対なんです。

なぜ、そこまで約束にこだわるのか。

経営の世界に限らず、人が生きていく上で最も大切なのは、人から信用されることです。でも、信用というものをつくるのは並大抵なことではありません。

私は、お世辞にも裕福とは言えない家庭で、11人兄弟の10番目として生まれました。会社をつくったときも、後ろ盾など何もありませんから、最初は取引先も金融機関も、誰も相手にしてくれません。

仕方がないから、私は、人の2倍、3倍は働くことで、信用をつくろうとした。少しずつ会社が良くなるにつれて、だんだんと周囲の人たちに信頼してもらえるようになっていきました。

とはいえ、もし約束を一度でも破れば、その信用が一瞬で失われてしまうのです。

格好付けずに子供にも本音で語る

息子には、経営者という仕事がいかに過酷であるかもよく話していました。

よく「あんまり息子に仕事が大変だと言うと、継ぐ気がなくなるんじゃないか」と心配する経営者がいるようだけど、それは伝え方が悪い。ただ「大変だ、大変だ」と言うだけでは、子供だって積極的に会社を継ごうとは思わなくなる。そうではなくて、何がどう大変なのか、中身を説明しないと。大変なことになっている仕事の目的や、その理由をきちんと説明しさえすれば、大抵の子供は「自分も応援してやるか」という気になるはずです。

資金繰りでも何でも、子供も巻き込んで話をする。そうすれば、そのうち子供のほうから「お父さん、こういうふうにしたらどう?」と会話に入ってくる。うちがそうでした。変に格好付けて、本当は会社が大変な状況なのに全く口に出さなかったり、理由も言わず「このままじゃ会社が持たない」とか、「全然儲からない」とか愚痴だけこぼしたりするのも駄目。子供が会社から遠ざかるだけです。

本音で話せばいいんですよ。自分の子供なんだから。
あとは、「自分の商売が社会に必要なんだ」ってことも、繰り返し伝えないといけないよね。私は、息子だけでなく、社員にも常々「物流は、世の中で一番大事な仕事だ」と胸を張って言っています。

経済というのは、モノを作る人と、それを売る人がいて成り立っている。作る人は、いいモノを作ろうと努力するし、売る人は懸命に売ろうとする。でも、誰かがそのモノを動かし、お客様の元へ届けないと、その頑張りは無駄になってしまう。
だから、「物流業者は、リレーに例えるなら、アンカーなんだよ。華やかじゃないかもしれないけど、俺たちがいないとゴールできないんだぞ」って、よく話すんです。そこのところは息子も分かってくれているはずだし、物流の仕事に誇りを持ってくれていると思うけどなぁ。

大須賀会長が最終的に秀徳氏に会社を任せることに決めたのは、2009年12月だ。

息子に会社を任せようと決めて、まず何をやったかと言えば、息子を家に呼び出したんです。

社長を務めるなら会社第一でないといけない

まず、私は「おまえ、子供のとき、幸せだったか」と聞いた。すると、彼は案の定、「幸せじゃなかった。親にどこかに連れていってもらったという記憶が全くない」と返してきた。

そこで私はこう言いました。
「今度、おまえは会社の社長になる。社長というのは、家庭第一ではなく、会社第一でないと務まらん。もし副社長であれば、家庭第一でもいい。どちらがいいか」

その結果、息子は会社を継ぐ決断をするんだけど、このときの経緯については、私にも1つ反論があってね。実は私は結構、子供を連れていろんなところへ出掛けているんです。小さい頃だから忘れているだけなんだよ。

でもまあ、それでもよその家庭と比べたら、やはり家庭を犠牲にしてきたと言われるかな。しょうがないよね、経営者なんだから。会社の中の仕事は、頭が2つになってはいかんということで、既に経営のかじの大半は、息子に取らせていますよ。前の社長の後藤さんのときもそうだったけど、会議は全部、息子任せ。私は、月に1度、経営会議に出席するだけです。
会長になって寂しくないか? やることがたくさんあるからね。新しいセンターができたら駆けつけて、社員とコミュニケーションを取ったり、業界をまとめたり。結構忙しいんです。

ハマキョウレックスの歩み
1971年 浜松協同運送(現・ハマキョウレックス)を浜松市で開業
1993年 大手量販店向け業務取り扱いのため
    伊藤忠商事と合弁でスーパーレックスを設立
2004年 近鉄物流(現・近物レックス)を連結子会社に
2010年 大須賀秀徳氏が社長に就任
2010年 JALロジスティクス(現・ロジ・レックス)を連結子会社に

1960年代 20代前半でトラックドライバーになった頃(右)。
大型免許を持つ人が少なく、運転手は花形の職業だった

1975年頃 忙しい社長業の合間を縫って、家族で出掛けることもあった。貴重な親子4人でのスナップ

1990年代 他社に先駆け、3PL事業にいち早く進出。
顧客は大手スーパーやアパレル、医療機器メーカーなど幅広い

2010年 役員らの全会一致で、長男の大須賀秀徳氏(右から2人目)が社長に就任

おおすか まさたか
1941年静岡県生まれ。56年北浜中卒業。ヤマハ発動機、青果仲介業などを経て、71年に浜松協同運送(現・ハマキョウレックス)を設立、社長に就任。3PLへの参入などで同社を急成長させ、2003年3月に東証1部上場を果たす。07年から現職。写真:堀 勝志古

※『日経トップリーダー』2011年5月号の特集「それでも息子に継がせたい」をもとに再構成

著者:荻島 央江