公式コラム事例から検証!相続の落とし穴

死後直後の支払いに間に合う? 「預貯金の払戻制度」

2020.05.25

著者:萬 真知子

被相続人の死亡とともに預貯金は凍結!

2018年7月の相続法改正により「預貯金の払戻制度」が創設され、2019年7月1日から施行されました。この新しい制度は何なのか。その内容を紹介する前に、まずは制度創設までの経緯を振り返ってみましょう。

通常、銀行や郵便局などの金融機関は、口座名義人の死亡が分かった時点でその預貯金口座を凍結、つまり入出金等の取引ができないようにします。口座の凍結は遺産分割協議が終了するまで続き、相続人であっても原則として単独では故人(被相続人)の預貯金を引き出すことはできません。

口座凍結の根拠となるのは2016年12月の最高裁の決定です。被相続人の預貯金は遺産分割の対象財産に含まれることとなり、遺産分割協議終了まで相続人の誰か一人の意思だけでは預貯金の払い戻しを受けられなくなったのです。「えっ、それより前から誰かが亡くなるとその人の口座は凍結されていたのではないか」と訝しく思われるかもしれません。確かにそのとおりです。

ですが、実は半世紀以上前の1954(昭和29)年の最高裁の判例変更により、可分債権(分けられる財産)については遺産分割協議を経ずに法定相続分にしたがって分割できると解されていたのです。可分債権には預貯金も含まれていたため、例えば被相続人が残した預金が口座に600万円あった場合、法定相続分が3分の1だという相続人が払い戻しを請求すれば、特に他の相続人の同意なく、600万円の3分の1に当たる200万円を引き出すことは可能でした。

法律的にはそうだったのですが、金融機関側は相続人の言うとおりに預貯金の払い戻しをすると、ほかの相続人からクレームを受けるといったトラブルになりかねません。金融機関はそのリスクを回避するため、相続人全員の了承がなければと預貯金の払い戻しには応じないという立場をとり、払い戻しの際には相続人全員の戸籍謄本や印鑑証明書などが必要になったわけです。

これが長年続いてきたわけですが、前述の2016年12月の最高裁決定により、預貯金は遺産分割の対象財産に含まれることとなった、つまり従前の可分債権から不可分債権に変わり、遺産分割協議を経ないと相続人への払い戻しができなくなったのです。金融機関が行ってきた口座凍結に“お墨付き”を与えたかたちとなり、遺産分割協議前の預貯金の払い戻しがより難しくなりました。その結果、相続人が葬儀費用やしばらくの間の生活費を手当てできないといった問題がより生じやすくなったのです。

これでは相続人にとってあまりに過酷だということで創設されたのが、今回の「預貯金の払戻制度」です。相続開始後に相続人が当座のお金に困らないように、かつ遺産分割において不公平が生じないように調整することを前提に、被相続人の預貯金の払い戻しを1人の相続人の意思で受けられるようにした制度です。

預貯金の払戻制度の方策は2つ

預貯金の払戻制度の方策は2つあり、次の①②となります。

① 金融機関の窓口での払い戻し(一金融機関につき150万円が上限)
② 家庭裁判所の判断による仮払い(金額の上限はなし)

①は銀行や郵便局といった金融機関の窓口に出向き、直接払い戻しを受ける方策です。相続人は自分の法定相続分の範囲で一金融機関につき150万円を上限に預貯金の払い戻しを受けられます。家庭裁判所の判断や他の相続人の同意は不要で使途も問われません。払戻金額の計算式は下記のとおりです。

払戻金額=相続開始時の預金口座の残高×1/3×払い戻しを受ける相続人の法定相続分
*ただし1金融機関につき上限150万円。

被相続人の預金(相続開始時の残高)がA銀行に360万円、B銀行に600万円あるケースで、相続人は妻、長男、次男の3人の場合、それぞれの払戻額の上限は下記のようになります。

なお、被相続人の口座が同じ金融機関に複数あった場合でも、合計で150万円までが払い戻しの上限になります。例えば、A銀行に600万円と360万円の預金残高があった場合、妻がはらいもどしを受けると上限に引っかかってしまうことになります。

払い戻しを受けるには手間と時間がかかるので要注意!

①の方策は上限があるとはいえ、1人の相続人の意思で払い戻しが受けられるので利便性が高まった印象を受けます。ただし払い戻しを受けるには、被相続人の除籍謄本、相続人全員の戸籍謄本、預金の払い戻しを受ける相続人の印鑑証明書など各金融機関が定める書類を提出する必要があり、手間がかかります。提出した書類を金融機関が確認する時間も必要です。

したがって、生活費はまだしも葬儀費用に直接充てるには難しいのではないでしょうか。被相続人の死後すぐに払い戻しが受けられるものではないと心得た上で利用を検討しましょう。

家庭裁判所の判断による仮払いはさらにハードルあり

②の家庭裁判所の判断による仮払いはどうでしょう。こちらは預貯金の仮払いの必要があると認められた場合、他の相続人の利益を害さない範囲で仮払いが受けられるという制度です。金額に上限がないので、①の金融機関の窓口での払い戻しの上限額を超える金額が必要な場合は選択肢になります。

ただ、利用するには預貯金だけでなく相続財産全てについて家庭裁判所に遺産分割の審判または調停の申し立てが必要です。手間と費用がかかり、弁護士への依頼も必要となるため、実際にはあまり利用されませんが、選択肢の一つとして押さえておきましょう。

預貯金の払い戻しを受けた分は遺産分割協議で調整

①②のいずれの方策にせよ、相続人の誰かが預貯金の払い戻しを受けた場合、払い戻し分の金額が遺産分割協議の中でどのような扱いになるのでしょうか。

例えば相続財産が1億円あったとして、相続人が長男と次男の2人だったとしましょう。法定相続分で分けると2分の1ずつ、つまり5000万円ずつとなります。ですが長男が相続財産の中から預金300万円の払い戻しを受けていたとしたら、次男との公平性を保つために、その300万円は相続財産として既に取得したものとみなされます。したがって遺産分割の際には取り分の5000万円から300万円を差し引いた4700万円をもらうことになります。

ただし、預貯金の払い戻しを受けた分の使途が葬儀費用や相続債務の弁済だった場合には、家族のために使ったお金ということになるので、取り分から差し引くのはかえって不公平になるとも考えられます。上記のケースにおいて長男が払い戻しを受けた300万円を全額葬儀費用に充てたとすると、長男と次男の間で公平性を保つには、それぞれが相続財産から葬儀費用を150万円ずつ負担したものとして、遺産分割協議の際に取り分を調整するのが妥当でしょう。その考え方で計算し直すと、長男・次男とも取り分は5000万円から葬儀費用の負担分の150万円を差し引いた4850万円となるわけです。

実際にはこのように単純にはいかないかもしれませんが、預貯金の払い戻しを利用した相続人がいる場合には、トラブルに発展しないように公平性を図って遺産分割協議をすることが重要となります。


取材協力=弁護士 志賀剛一氏

著者:萬 真知子